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氏名 |
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斎藤 忠雄(さいとう ただお) |
生年月日 |
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昭和29年(1954)8月31日 |
出生地 |
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福島県いわき市 |
本籍地 |
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新潟市中央区関屋本村町 |
現住所 |
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同上 |
事業所 |
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斎藤内科クリニック
〒950-0926
新潟市中央区高志2丁目20番3号
TEL. 025-287-5800
FAX. 025-287-6688 |
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■学歴・職歴 |
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昭和57年(1982) |
3月
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新潟大学医学部卒業
医師国家試験合格 医籍第264908号登録 |
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5月
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新潟大学医学部第三内科(市田文弘教授)、
第二内科研修医(荒川正昭教授) |
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昭和58年(1983) |
5月
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京都桂病院消化器科医員 |
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昭和59年(1984) |
5月
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新潟市民病院消化器科医員(笹川 力院長、木村 明部長) |
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昭和60年(1985) |
5月
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新潟大学医学部第三内科医員(市田文弘教授) |
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昭和61年(1986) |
4月
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新潟大学大学院医学研究科入学
同第三内科より医動物免疫学教室へ学内留学(藤原道夫教授) |
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エアコンの効いた動物実験施設で、ネズミ300匹の世話をしながら、コツコツと実験に勤しむ。
藤原教授は、当時腎臓の研究に没頭されており、肝臓は放置。当時は、移植免疫が大変盛んであり、ある種のネズミのリンパ球を他のネズミに移入(移植)し、その拒絶反応をみていた。肝臓の組織変化を観察したところ、ヒト原発性胆汁性肝硬変(PBC)類似の病変が形成されることに注目。ある種の遺伝的差による組み合わせの細胞移植の系で、肝臓の組織学的変化も自己抗体の検出もPBC固有のものと類似することが確認され、動物モデルとして世界で始めて認められる。
米国病理学学会雑誌(Am.J.Pathol.)での報告が、大学院卒業学位論文となる。 |
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■博士論文 |
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Histologic studies on the hepatic lesions induced by graft-versus-host reaction in MHC class II disparate hosts compared with primary biliary cirrhosis.(Am.J.Pathol.,135:301-307,1989) |
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平成2年(1990) |
3月
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新潟大学大学院医学研究科卒業 医学博士第579号登録 |
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4月
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長岡中央綜合病院消化器科医員(杉山一教院長) |
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─ 10月からの米国留学前に長岡中央綜合病院にて研鑽 ─ |
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10月
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米国アラバマ大学バーミンハム校微生物学教室客員助教授
(J.Mestekcy 教授) |
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Depletion of CD8+ T cells exacerbates organ-specific autoimmune diseases induced by CD4+ T cells in semiallogeneic hosts with MHC class II disparity.(J.Immunol.145:3268-3275,1990) |
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米国免疫学会雑誌( J.Immunology) にヒトPBC動物モデルとして掲載されたことがきっかけで、米国アラバマ大バーミンハム校へ客員助教授として招聘される。同校ではHepG2 cell という肝がん細胞の表面受容体についての研究に就いたが、その受容体はAIDSウイルスの感染経路とも深く関与する可能性があり注目されていた。しかし、当時の新潟大学第三内科教授(朝倉 均教授)より、帰国後は見附に新たに造られる市民病院の医師として派遣する旨の連絡があり、米国での研究継続を断念し帰国。 |
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平成4年(1992) |
6月
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帰国、新津医療センター病院診療部長
新潟大学医学部医動物学免疫学教室研究協力員(安保 徹教授) |
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帰国後、米国アラバマ大バーミンハム校でNK細胞の表面マーカーを確立した安保先生が、新潟大学医動物免疫学教室の教授へ就任されており、診療の傍ら安保教室の研究協力員となる。 |
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平成5年(1993) |
4月
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医療法人愛広会尾山病院診療部長 |
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現新潟リハビリテーション病院の前身である尾山病院にて開業準備。
共栄堂社長 小林 清氏との出会い。 |
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平成6年(1994) |
11月
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斎藤内科クリニック開設 |
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診療に来られるお年寄りが、しだいに歩くことが不自由となり、往診して欲しいとの求めが増えたのと同時に、平成12年(2000)4月の介護保険法の施行に伴い、通常往診に加え、本格的な在宅での訪問診療を開始。また、一人暮らしのお年寄りや認知症の方が、いつまでも住みなれた地域で過ごすことができるようにとの地域密着型の在宅介護サービスが、平成18年より開始されることとなり、平成19年4月開設を目指し平成17年末より準備開始。 |
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平成18年(2006) |
9月
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株式会社ルピナス新潟設立(介護施設設立には法人格必要) |
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平成19年(2007) |
8月
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看護小規模多機能型居宅介護ケアステーションるぴなす開設 |
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看護小規模多機能型居宅介護とは、25人までの登録制で、通所(デイサービス)、泊まり(ショートステイ)および訪問介護が一つの事業所で行われ、馴染みのスタッフによる一貫したケアを受けることが可能。希望により、宿泊または訪問介護を受けることができる。支払いは定額性(介護度により設定)。 |
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平成19年(2007) |
9月
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小規模型通所施設デイサービスセンターるぴなす開設
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平成20年4月の診療報酬改定では、後期高齢者保険制度制定、がん末期の患者さんの延命治療中止とも取られるような、末期がん患者さんの早期退院の勧奨と在宅ホスピスの普及(モルヒネの積極的使用による緩和ケアの推進)、脳卒中後遺症患者さんの早期退院、中程度精神病患者さんの退院(入院基本料の廃止)、施設入所身体不自由者の早期退所、夜勤看護師手当の廃止など。
医療費の削減を意図した厚生労働省の思わくで、地域の開業医が、これまでの病院が担ってきた治療を在宅で行うこととなる。24時間対応型の在宅療養支援診療所の設置もその一つ。 |
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平成20年(2008) |
7月
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居宅介護支援事業所るぴなす開設
訪問看護ステーションるぴなす開設 |
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4月からの診療報酬改定に対応するためには、患者さんと緊密に、医療および福祉の連携を確立する必要性あり、居宅介護支援事業所(ケアマネージャー)および訪問看護ステーションの設立および薬剤センターの設置が急務となる。 |
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平成20年(2008) |
8月
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在宅療養支援診療所として登録(斎藤内科クリニック) |
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9月
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麻薬施用者免許002629号登録 |
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■賞 |
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平成1年(1989) |
7月
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第7回国際免疫学会(西ドイツ、ベルリン)トラベルフェローシップを
日本免疫学会より授与 |
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平成2年(1990) |
6月
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■資格等 |
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平成 4年(1992) |
4月
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米国免疫学会active member に選出 |
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平成 5年(1993) |
11月
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身体障害者福祉法第15号第1項に規定する医師、障1017号に指定 |
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平成12年(2000) |
5月
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介護認定審査委員就任(2007再任) |
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平成18年(2006) |
10月
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新潟市医師会在宅医療検討協議会委員就任 |
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11月
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認知症対応型サービス事業開設者研修終了第06−244号(厚生労働省) |
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平成19年(2007) |
2月
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新潟県かかりつけ医認知症対応力向上研修会修了 |
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5月
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日本医師会認定産業医第0700418号登録 |
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平成20年(2008) |
3月
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特定保健指導研修会修了 |
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9月
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麻薬施用者免許証第002629 号登録 |
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平成22年(2010) |
8月
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新潟県緩和ケア研修会終了 |
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■その他 |
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●ツクイグループホームふれあいの家
(協力医) |
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●特別養護老人ホーム聖豊はすがた園(50名)
(H19.10〜)(配置医) |
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●介護付有料老人ホームくるみの杜 (H21.12〜)(協力医) |
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趣味 : マラソン(本業 / マラソン 趣味 / 医師)
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