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「里帰りと夕焼け」

2011.8.20
いわきへ

8月14日(日)東日本大震災でかなりのダメージを受けたと聞いていた「いわき」へ里帰りしました。母が亡くなってすぐに自宅は処分していたのですが墓地がそのままとなっていました。風の便りにお寺を含め全滅とのことでしたし、また連絡もほとんどとれませんでした。おそらく復興するのは無理で共同慰霊塔となるのか、と覚悟して磐越道を走りました。案の定高速道路は多少のひずみがあり、ところによっては軽くバウンドする感じでしたが、新潟中越沖地震の時のようなブルーシートもほとんどみないまま到着。早速白水の国宝阿弥陀堂近くの清光院へ向かいました。いつも本堂までの急峻な坂が車の進行を困らせるのですが、崖の一部が崩れていただけで難なく登り切りました。そしてそこに開けていたのは、何事もなかったような昨年と変わらぬ光景で胸をなでおろしました。住職はちょうど葬儀があり不在。ご住職のお母様が応対にでられ、場所によっては崩れてしまった菩提所もたくさんあったが、ここはびくともしなかったこと、ただ本堂に安置してあった位牌などが倒れはしたもののすぐに復旧。ただ一つ嘆かれていたのは、よその地域の人たちがいわきの人を放射能によって犯された、なにか病原菌におかされた疫病人のように扱われることがあり悲しい、と。原発の恐ろしさに涙されていました。ホームページ初公開ですが、斎藤家のお墓とそこから見下ろせる光景です。どこにもブルーシートはありません。
もう一か所、どうしても訪ねなければならないところ、それは介護施設るぴなすも私個人も大変お世話になっていました、お味噌とうまくち醤油の山田屋醸造さん、青木さん親子でした。私の出身高校の磐城高校のすぐ裏手にあって部活の学生達も頻繁にそのお店の前を行き来します。もちろん、地震直後から1ケ月以上も電話やファックスを送ってみたものの全く返事がなく、やはり倒壊してしまったのか、と恐る恐る訪ねてみたのでした。ガラス戸が開かれたままの玄関口に立ち大きな声で叫びましたら、私に刺激されてフルマラソンを始められた息子さんが飛び出して来られたのですが、髭ぼうぼう。疲れた表情のようにもみてとれます。お店の両壁は崩れてベニヤ板で修復。玄関先は太い角材を漆喰がわりに使って補強。聞いて唖然としたのは、福島第一原発での水素爆発の後すぐに避難勧告が出され約2週間店に戻れなかったのだそうです。60キロ以上も離れている場所の避難勧告など全国的には全く報道されず、恐いことです。避難先から戻ってきて味噌作りが再開できるか、大変な苦労をされました。ダイズは栃木から、お米は福島産ですがいずれも昨年のものなので心配はなかったのですが、それらを浸す水、一月1トンから2トン使うのですが、近くからのものです。20ベクレル以下であれば供用してよいとの基準があるそうですが、人さまの口にはいるものだから、と話されて1ベクレルでもダメと考え青森県のむつ市の検査機関まで送ったそうです。結果は検出なし、と。ただ、来年の仕込みとなるこれからの栃木産のダイズと福島産のコメ、心配されていました。

来年からが心配ですが、とりあえずは安心していわきをあとにしました。7月の新潟の夕焼けですが公開します(^_^)
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