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三春滝桜の子

2011.4.26
平成23年4月19日夜、がんと闘った患者さんの記録をまとめていると、思いがけず横越の
○○さんのカルテを開いていました。
「そうか。たしか桜の花が咲くことを楽しみにしながら亡くなられたんだった。
明日20日が命日」

4月20日、訪問診療先で「亀田で開業されている横田先生のところの滝桜が咲いているのが
テレビ中継され、先生も出演していたよ」とのことでした。
その時、頭の中でぼんやりとその滝桜が呼んでいるような気がしたのです。
そう、これから◎○さんの採血がありその検体を亀田まで持っていくことになるし、今日が
一周忌である○○さんと桜もつながるような気もするし、やっぱり亀田を経由して横越へ
行くことになるんだな、と思ったのでした。

夕暮れ時の滝桜は周囲のすべてを圧倒していました。横田先生のお父さんが、昭和57年
6月に三春まで出かけ、その帰り道で苗を購入し植えたもの。
案内板には『三春、滝桜の子』と。不思議な思いが身体をめぐり、一瞬頭のしびれる感じ
に襲われたのです。
それは、昭和57年5月20日が医師免許証の交付日であり、私自身医師として初めての
一歩を踏み出した時だったからなのです。今ここにこうして立っている私の医師としての
29年の歩みの間じゅう、ずうっとこの地にしっかりと根を下ろし枝を茂らせては今日の
ような見事な桜を咲かせていたのです。
これがいわゆる「気づき」であり、遠藤周作の言う「神」なのだろう。
偶然と呼ぶにはあまりにもストーリーがありすぎる。
「神」とは存在ではなく、今日はこの道を歩いてみようと思ったときに何かに出あう、
そのように後ろから背中を押してくれるもの、「気づき」がそうなのだと述べているが
まさにその通りのことが起こっている。

胃がんの再発で44歳で亡くなられた◎◎悦子さんの場合もそうでした。
◎◎さんは健康には人一倍気を使い玄米や健康食好みの生活をしつつも、もし自分が死ぬ
としたら「絶対自宅」と、東京で開催された、甲府の在宅ホスピス医内藤いづみ先生の
講演会へでかけては刺激されたことを私に話されたのでした。私が、在宅ホスピス医に
なろうとしたのも偶然にも内藤いづみ先生の新潟日報での記事だったことを◎◎さんへ
お話し、おもわず顔を見合せました。
◎◎さんも桜が咲くことを心待ちにしていたのですが、その前の4月15日に亡くなられ
ました。

車は今日が命日の横越の○○さんのお宅へ向かっていました。

娘さんの出迎えをうけ、仏前に頭をさげる。お父さんはやはりいない。
大事な時にいつもいないんだからと、亡くなった○○さんの声が聞こえたような気がした。
お孫さんの○香ちゃんを車で迎えにいったはずが、○香ちゃんだけが帰ってきた。
「お父さんの都合がついて早くむかえにきてくれたから」
「えーっ、おじいちゃんが迎えに行っているはずだから、電話してみて」
どうもはぐれているらしい。そういえば一年前もしょっちゅう同じようなことがあり、
○○さんから怒られていたな。そう、「怒られることが自分の張り合いになって生きてる
ような気がする」とご主人は話されていたことを思い出した。

「今日はわざわざおいでくださりありがとうございました。お会いできなかったのですが、
一日も先生のチームが妻を看取ってくださったことを忘れることはありませんでした。
ただ、落ち込んだからでしょうか。お見せするのも恥ずかしいくらい、がりがりにやせて
しまいました。今度必ず健康診断に伺いますからよろしくお願いします」
電話の向こうでお父さんの頭を下げる姿が見えたような気がした。

滝桜の子との出会いを○○さんは仕組んでくれたのです。
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