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No.05 2009.10.4 UP
共栄堂 六十年の歩み
在宅医療における共栄堂との関わり
在宅医療における共栄堂との関わり
 創立六十周年を迎えられ、こころよりお祝い申し上げます。本年6月1日に、新潟大学もちょうど60周年とのことで、新潟日報に紹介されておりました。まさに新潟の地で、医薬の道をともに歩まれ、また、今後は、来るべき団塊の世代の高齢化時代を支える大きな役割を担われることと思います。
 さて、私と共栄堂社長小林清氏との出会いについてお話したいと思います。平成2年新潟大学大学院卒業後、米国アラバマ大バーミンハム校微生物学教室客員助教授として渡米。平成4年、米国より帰国した後、新津医療センター病院へ赴任。翌平成5年には豊栄尾山病院へ転任。そこで、地域に根ざした医療を行いたいと模索していたおり、小林氏との出会いがありました。
 氏にとって、既存の開業医との調剤薬局の開設については経験がありましたが、新規開業医は初めてであったと記憶しております。現在では、新規開業時の内覧会は当たり前となっていますが、新潟では私たちが第一号で、その後に開業される先生方は、私どもを見本にされ現在に至っているのです。
 平成6年11月、新潟市高志(現中央区)に開業し、はや15年となりました。当初、どれくらいの患者さんが受診されるかが不安で、氏と近隣の中小事業所を200ほど調べ、健康診断等のお願いに廻ろうかとも相談しておりました。ところが、心配をよそにオープン直後より、午前8時から検査、引き続き診療、そして午後10時頃まで診療が続くこともあるほどの大忙しで、ほっと胸をなでおろした記憶があります。ちなみに訪問服薬指導が新設されたのも同じ平成6年で、私の医院の現在のスタイルである訪問診療への道を暗示していたのかもしれません。
 開業当初は元気に歩いて通われていたお年寄りがしだいに歩けなくなり、定期的な訪問診療開始。平成12年に始まった介護保険が、平成18年に改正され、住み慣れた地域にいつまでも過ごせるような在宅療養支援拠点(看護小規模多機能型居宅介護)の建設が制度化されました。そこで、平成19年にケアステーションおよびデイサービスセンターるぴなすを開設。
 一方、平成20年の医療法の改正では、がん末期の患者さんの延命中止とも思える、がん患者早期退院勧奨が始まり、治癒の見込みのなくなった患者さんは在宅へと誘導され、また、脳卒中後遺症等で療養型病床を利用されている患者さんへも同様の措置がとられたのです。それらの患者さんの受け皿となるべく、平成20年7月に訪問看護ステーション併設居宅介護支援事業所るぴなすを開設。同8月には、クリニック自体も24時間体制となる在宅療養支援診療所ならびに緩和ケア診療所として再出発。当然、オピオイドや点滴、各種の医療機器の使用も始まりました。
 往診チームとしてのクリニック医師、看護師、そしてさつき調剤薬局八幡、黒井両先生、さらには訪問看護ステーションるぴなすの看護師および居宅介護支援事業所、それぞれが緊密な連携を取り合いながらの協働のもと、多くの患者さんの看取りが始まったのです。期せずして“おくりびと”が話題となりましたが、私たちチームは、ご家族やご本人が安心して最期を迎えられる“みとりびとチーム”として船出することができました。誰もお膳立てなどしてくれることはありません。ただ、目の前の変化や時代の要請にいち早く取り組んで地道に対応してきたことによるものと思います。
 共栄堂六十周年にあたり、私に寄稿の機会を与えていただき、心より感謝いたします。私の15年は、小林氏の“独特の感”により支えられ、目まぐるしく変動する医療状況にいち早く対応できた賜物です。共栄堂の還暦はほんの通過点にしかすぎません。これからも、来るべき新潟発の新しい試みにチャレンジし、患者様の目線に立ったやさしい医療の礎が構築できますよう、お願い申し上げます。
平成21年 6月吉日
在宅療養支援診療所・緩和ケア診療所
斎藤内科クリニック
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